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岐阜地方裁判所 昭和41年(そ)1号 決定 1967年4月24日

請求人 斉藤章治 外五名

決  定 <請求人氏名略>

右請求人らから、刑事補償の請求があつたので、当裁判所は検察官及び請求人の意見をきいた上、次のとおり決定する。

主文

請求人斉藤章治に対し金四万三、〇〇〇円を、

同金鐘得に対し金四万六、〇〇〇円を、

同田口早苗に対し金三万八、〇〇〇円を、

同古滝富栄に対し金三万三、〇〇〇円を、

同後藤治子及び同後藤ともみに対し金一万二、四〇〇円を

各交付する。

理由

本件刑事補償請求の理由は、別紙一「請求の理由」記載のとおりであるから、これを引用するが、これに対する当裁判所の判断は左の通りである。

一、拘禁および被告事件の経過

請求人斉藤、同金、同田口、同古滝および亡後藤重博(以上五名を元被告人らという)に対する本案の記録である破壊活動防止法(以下破防法という)違反被告事件の記録、および本件記録によると、次の事実が認められる。

元被告人らは別紙二「拘禁関係事項表」記載のとおり、破防法三八条二項二号の罪の疑いで、逮捕勾留され、さらに、勾留延長をうけた上、岐阜地方検察庁検察官から、「内乱罪を実行させる目的をもつて、その実行の正当性および必要性を主張した文書である日本共産党岐阜県委員会発行の『山旅案内』なる偽装表題を附したパンフレツトを頒布した」との公訴事実につき、岐阜地方裁判所に起訴され、その後、保釈許可決定により釈放されるまで、引き続き、請求人斉藤が四三日間、同金が四六日間、同田口が三八日間、同古滝が三三日間、亡後藤重博が三一日間、それぞれ拘禁された。

その後、右被告事件は、岐阜地方裁判所において併合審理された結果、昭和三四年一月二七日、元被告人らが、内乱罪実行の正当性と必要性を主張した日本共産党岐阜県委員会発行名義の「山旅案内」なる文書を、その内容を認識しながら頒布した事実は、請求人田口の頒布事実の一部を除き、認定できるがその頒布の意図は、破防法三八条二項二号の「内乱罪を実行させる目的」とは認められないし、また、その頒布行為による公共の安全福祉に対する具体的な明白・現在の危険が予見されないので、同条項の罪は成立しないとして、公訴事実全部につき無罪を言渡した。

検察官は、この無罪判決に対して控訴を申し立てたが、名古屋高等裁判所は、亡後藤重博については、同人が昭和三四年七月三一日に死亡したため、同年一二月二四日、公訴棄却の決定をし、該決定は即時抗告に代る異議申立期間の経過により同月二八日確定し、その余の元被告人らについては、専ら「内乱罪を実行させる目的」とはどのようなものを指すか、破防法三八条二項二号の罪は、原審判決のいうように具体的危険犯か、それとも抽象的危険犯かという法解釈上の問題を中心に審理を重ねた末、昭和三九年一月一四日、本罪を具体的危険犯とした原審判断は誤りであつて、それは抽象的危険犯であるが、その余の元被告人らの文書頒布の意図が同罪の目的にあたらないとした原審判断は正当であるとして控訴棄却の判決をした。

これに対し、検察官は、さらに上告を申し立てたが、最高裁判所は昭和三九年一二月二一日、破防法三八条二項二号の問題について初めてその見解を示し、本案事件について同罪の目的の存在を否定した原審の判断は正当であるとして、上告棄却の決定をし、同決定は、異議申立期間の経過した同月二五日に確定したので、その結果、亡後藤重博を除くその余の元被告人らの無罪が確定するに至つたものである。

二、本件各請求の当否

(一)  先ず請求人後藤治子および同ともみの各請求の形式的要件について検討すると、本件記録によれば、右請求人治子は、亡後藤重博の妻、同ともみは同人の長女で、右重博の死亡により、同人の遺産を相続したものであることが認められるので、右請求人らは、刑事補償法(以下、単に法という)二五条、二条一項により、亡重博の刑事補償の請求権を承継したものであつて、右請求人らは法一〇条により全額の補償請求をなし得るものと認むべきである。

(1)  (管轄について)次に公訴棄却の裁判がなされその事由がなければ無罪の裁判がなされるものと認める充分な理由がある場合における補償請求の管轄裁判所について、本件のように、一審で無罪判決がなされた後、控訴審で公訴棄却がなされた場合において、それが一審裁判所であるか、それとも、控訴裁判所であるかが問題である。これについては、公訴棄却の事由がなければ控訴棄却の裁判をしたかどうかという要件の判断は、大体において、控訴裁判所の審理になじむものであるといえるが、もし、控訴棄却がなされていたならば、原審のみが管轄裁判所となるという事情を考慮し、且つ、本件のように、控訴審では事実の取調べが殆んどなされず、専ら、法解釈の問題が審理され、しかも、事実関係、殊に頒布目的をほぼ共通にする共同被告人について同一控訴裁判所により控訴棄却がなされているため、原審裁判所においても、亡後藤重博に対しても同人が死亡しなければ、控訴棄却の裁判がなされたであろうことが、格別の事実調査を要しないで容易に確認できる場合、特に、他の共同被告人の請求と併わせて請求されている場合には、原審裁判所にも管轄を認め、関連事件としてこれを処理させることが相当であるといわなければならない。

(2)  (補償請求の期間について)次に検察官は、右請求人両名の請求は、法七条所定の三年の期間を徒過後なされたもので、不適法であると主張するが、なるほど、法二五条二項、七条の規定によれば、右請求人両名は、亡後藤重博に対する公訴棄却の決定の確定した昭和三四年一二月二八日から三年内に補償の申立をしなければならないことになるから本件各申立は、明らかに、右の期間を徒過してなされたものということになる。そして、法七条の期間は、除斥期間であると解すべきであつて、補償請求権回復等の救済規定のないことからみても、右期間徒過により失権の効果を生じ、その後は補償請求は許されないものと解すべきである。しかしながら、そのことから直ちに、単なる個人的事情を超えた諸般の事情からみて、期間徒過について、法的安定性を理由に請求を許さないことが余りにも苛酷であるとみられるほどの真にやむを得ないものがあると認められるような極めて例外的な場合にまで、請求を否定すべきものと解すべきではなく、そのような場合には、拘束をうけた無実の者の利益を考慮して、補償を与えうるものと解するを相当とする。

ところで、本案事件は、その合憲性の有無について最初から大いに争われた破防法施行後間もなく行なわれた文書頒布に関する事案であつて、同法三八条二項二号の適用の有無が初めて問題とされた一連の事件の一つであつたが、同条項の解釈についても最初から確定したものはなく、本案事件においても、検察官、弁護人の見解は激しく対立し、第一審の判決がなされても、検察官は、その法律判断を真向から否定して控訴を申し立て、同条項の罪は抽象的危険犯であり、元被告人らの文書頒布の意図は、同罪の目的にあたると判断すべき旨主張し、鑑定人尋問などによつて、その解釈の正当性を立証しようとして、活溌な訴訟活動を行つていたものであり、その当否は、結局、治安目的と言論・表現の自由のいずれを重視するかによつて定まるべきものであつて、論理的に一義的な結論が導き出せるようなものではなかつたのである。そして、亡後藤重博に関する公訴棄却決定確定後三年を経過した昭和三七年一二月二八日においても、すでに、破防法三八条二項二号の目的について、いずれも制限的に解すべきであるとした津事件の第一、二番判決(津地裁昭和三〇年二月二八日、名古屋高裁昭和三七年一二月一四日)や京都事件の第一審判決(昭和三一年一一月二七日)がなされていたが、いずれも、そのまま確定することなく、法廷論争は、なおも、活溌に続けられたのであり、当時において、その後になされた第二審判決が、どのような解釈をするか、原判決が維持されるかどうかの予測は、客観的には、極めて困難であつたのであり、このような事情は、第二審判決後においても、ほぼ同様であつて、この種の問題について、初めて最高裁判所の見解を示した本案事件の上告棄却決定がなされるまでは、前記の法解釈が、どのような形で確定されるか、なお、予断を許さぬ状況にあつたとみるべきである。そして、その後においても、京都事件の第二審判決(大阪高裁昭和四一年四月二一日)は、むしろ、本案事件の第一審判決に近い見解を示しているのであつて、破防法三八条二項二号の解釈は、なお、裁判上、一義的に解決されないまになつていて、その解決は将来に残されているのである。そして本案事件のように、言論・表現の自由と、治安目的の価値評価についての基本的見解のきびしい対立のある法解釈については、そのいずれを選ぶかの判断に達するのに長期にわたる審理を要することもあり得ることである。しかも、本案事件の第二審裁判所は、昭和三九年一月一四日始めて、亡後藤重博と事実関係をほぼ共通にするその余の元被告人らの本案事件についての法律的見解を明らかにしているのであるから、たとえ、前記請求人両名の補償請求が昭和三七年一二月二八日までになされたとしても、その第二審判決のときまでは、それに対する判断をしなかつたであろうとみるべきであり、そして、更に右判決後においても、直ちに補償決定がなされたかどうかさえも疑問であるといわねばならない。蓋し、その動向の予断を許さぬ法解釈について、検察官上告がなされた以上、たとえ自らの法確信に従うものであるとしても、検察官の不服申立の途のない補償決定を控え、不当に長期にわたらない限り、上告審の判断を待つということは、法の統一的適用という見地からも、十分の理由がある態度であるからである。

右のような事情を考慮すれば、前記請求人両名が他の請求人らに対する上告審決定の確定をまつて、同人らと共に補償請求をしたことについて、これをその責に帰することはできないし、昭和三七年一二月二八日までに補償請求をすることを求める実質的理由は存しないものというべきであつて、むしろ、他の請求人らと同様の要件の下に補償の請求ができる極めて例外的な場合にあたるものと解するのが相当である。

(二)  本件各請求の実質的要件について検討するに

亡後藤重博について、法二五条一項の無罪判決(を維持する控訴棄却判決)のなされるべき充分の理由があることについては、前記のとおりであり、また本案事件は前記のとおり全部無罪とされた(亡後藤重博については、無罪とされるべき)ものであり、また本案事件記録によれば、元被告人らは、本案被告事件について、身柄拘束期間を含め、搜査段階、公判廷を通じて供述を拒否し或いは黙秘することによつて犯罪事実を争う態度をとりつづけて来たことが認められ、また有罪の証拠を作為した形跡もないので、本件は法三条各号の補償の全部又は一部をしないことのできる場合には該当しない。

以上のとおりであるから、本件各請求はいずれも理由があり、請求人らは国に対し相当の補償を請求しうるものといわねばならない。

三、補償金額

法四条一項の補償金額の基準は、昭和三九年四月二七日施行の同年法律第七一号刑事補償法の一部を改正する法律により、それまでの「一日二百円以上四百円以下」を「一日四百円以上千円以下」に改められたが、右法律附則2は「この法律の施行前に無罪の裁判又は免訴若しくは公訴棄却の裁判を受けた者に係る補償については、なお従前の例による」としており、亡後藤重博に対する公訴棄却決定は右改正法律施行前に確定しているから、その相続人である請求人後藤治子、同ともみ両名の請求については右改正前の基準が適用されることはいうまでもない。ただ、その余の請求人らに対する無罪判決は右改正前なされ、それは改正後に確定しているので、何れの基準によるべきかであるが、改正前に無罪判決がなされ、その上訴審で改正後に免訴或いは公訴棄却された場合との権衝からしても、裁判確定時を基準とするものと解すべきであるから、同人らの請求には改正後の基準を適用すべきである。

そして、本案事件記録及び本件記録によつて認められる元被告人らの年令・職業・家族関係等勾留・接見等禁止による同人らの精神的・物質的損害及び得べかりし利益の喪失等諸般の事情を考慮して(元被告人らは、当初は、その住所氏名も黙秘していたものであるが、その供述があれば身柄拘束等をなされなかつたであろうという事情は認められないし、被疑事実についての黙秘権の行使は、たとえ、それが拘束の必要性の根拠となつたとしても、補償金額決定について考慮し得ないものと解すべきである)、請求人後藤治子、同ともみ両名の請求については、亡後藤重博の拘禁日数に一日金四〇〇円の、その余の請求人らに対しては、その各拘禁日数に一日金一、〇〇〇円の各割合を乗じた補償金を交付するのが相当と認められる。

よつて、右各拘禁日数に応じて、請求人斉藤に対しては、四三日分金四万三、〇〇〇円の、同金に対しては、四六日分金四万六、〇〇〇円の、同田口に対し三八日分金三万八、〇〇〇円の、同古滝に対しては、三三日分金三万三、〇〇〇円の、請求人後藤治子、同ともみについては、三一日分一万二、四〇〇円の各補償金を各交付することとし主文のとおり決定する。

(裁判官 石田恵一 米田泰邦 北沢貞男)

別紙一、二<省略>

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